大判例

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東京高等裁判所 昭和53年(ネ)2891号 判決

控訴人(原告)

森本哲夫

ほか一名

被控訴人(被告)

神奈川県

ほか一名

主文

一  本件各控訴を棄却する。

二  控訴人らの当審における新たな各請求を棄却する。

三  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一  控訴人ら訴訟代理人は、「1 原判決を取消す。2 被控訴人らは、各自控訴人らに対しそれぞれ七八三万〇五一三円及びこれに対する昭和四八年九月一四日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴人神奈川県指定代理人、被控訴人ら訴訟代理人は、主文一、二項同旨の判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠は、次のとおり訂正、付加、削除するほかは、原判決事実摘示と同一であるから、その記載を引用する。

1(一)  原判決二枚目裏一〇行目「右肋骨骨折」の前に「同人に」を加える。

(二)  同三枚目表四行目「確認すべき義務」を「確認して進行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務」と改め、九、一〇行目「同人に衝突して」を「左前方に進路を横断しようとして出て来た同人に加害車を衝突させて」と改める。

(三)  同三枚目裏五行目「はつは、」から一〇行目「受けた。」までを次のとおり改める。「森本はつは、本件事故当時七五歳で健康であり、藤沢市の高齢者対策事業に従事し年収三二万一六〇〇円(日収一三四〇円 月平均二〇日稼働)を得ていたが、本件事故がなければ、九・一二年の余命があり(昭和四八年簡易生命表による。)、七九歳までの四年間は他に転職して就労することができ、この間、昭和四八年度の賃金センサスによる六五歳以上の女子労働者の平均年収六六万九九〇〇円程度の収入を得ることができたと予想される。そこで、右金額から生活費三〇パーセントを控除した金額を基礎として、右四年分についてライプニツツ式計算(四年の係数三・五四五九五)により年五分の中間利息を年毎に控除して得た一六六万二八〇二円は、はつの死亡時における右四年分の得べかりし利益の現価である。その算式は次のとおりである。

669,900×0.7×3.54595=1,662,802」

(四)  同四枚目表一行目「昭和四八年」の前に「控訴人らは、」を加え、六行目「川崎」を「川崎春雄」と改める。

(五)  同四枚目裏六行目「二〇〇万円」を「三〇〇万円」と改め、八行目「本訴訟を」を「昭和四九年八月一日」と改め、同行「他三名に」を「他三名に対し本件訴訟の提起及び追行を」と改め、一〇行目「の支払」を「を支払う旨」と改め、末行「権利である」を削る。

(六)  同五枚目表五行目「自賠法」を「自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)」と改め、五、六行目「金六五七万二二〇三円」を「右損害金合計七八三万〇五一三円」と改め、六行目「事故の」を「本件事故発生の日の」と改め、八行目「の支払」を「を支払うこと」と改める。

(七)  同五枚目裏二行目「その地位」を「はつの権利義務」と改め、三行目「たこと、」の次に「控訴人らが」を加え、八行目「職員」を「公務員」と改める。

(八)  同六枚目裏一、二行目「衝突した」を「加害車を衝突させた」と改め、四、五行目「かかわらず」の次に「、左右の安全を十分確認しないで」を加え、一〇行目「自賠保険」を「自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)」と改める。

(九)  同七枚目表三行目「職員」を「公務員」と改め、六行目「信号機」を「自己の進行方向の信号」と改め、七行目「あるところ、」の次に「被控訴人県の警察官は、本件」を加え、九行目「更に」の次に「、はつの」を加える。

(一〇)  同七枚目裏九行目「第一七号証」を「第一六号証、第一七号証の一」と改める。

2  控訴人らの主張

(一)  被控訴人御厨紘輝の過失

被控訴人御厨は、本件事故発生地点の交差点(以下「本件交差点」という。)にさしかかつた際、本件事故発生地点から二八・二メートル手前の地点(実況見分調書(乙第二号証)添付見取図表示〈二〉点)で被害者である森本はつを発見しえた筈であるのに、本件事故発生直前に本件事故発生地点から一一・一メートル手前の地点(右見取図表示〈四〉点)に至るまではつを発見しなかつたから、その間の一七・一メートルの間は前方注視をしないで進行した過失があり、本件事故は、主として被控訴人御厨の右過失により発生したものである。原判決は、この点についてなんら判断を示していない。

ところで、被控訴人御厨は、原審において右二八・二メートル手前の地点で原判決添付別紙図面表示A信号機の近くの歩道上の地点(右見取図表示〈A〉点)で電柱の陰から胸より上を出していたはつを認めたと供述しているが、右〈A〉点は電柱の藤沢方面寄りの場所であり、当時木が植えられていて電柱と植込みとの間に人が入る余地がなく、はつが右電柱の裏側に入ることはありえないものであつた。そして、被控訴人御厨は、はつが車道に降りるのを見ていないと供述しているから、結局同被控訴人は、右一七・一メートルの間はつを見ていなかつたものである。

また、被控訴人らは、被控訴人御厨が右一一・一メートル手前の地点(右〈四〉点)に至つた際、はつが急に右〈A〉点から道路上に駆け出した旨主張する。しかし、右主張どおりとすれば、加害車は、時速五〇キロメートルの速度で右〈四〉点から本件事故発生地点までの一一・一メートルを一・二八秒で進行し、他方、はつは、右〈A〉点から本件事故発生地点までの三・二メートルを一・二八秒で進行したことになるが、同所は歩道と車道との高低差も大きいので、このような場所を前記一般成人の駆ける速度と同様な速度で老齢のはつが進行することは考えられないのであり、被控訴人御厨は被控訴人ら主張のようにははつを見ていなかつたことが明らかである。

(二)  本件事故発生時における信号

原判決は、本件事故当時森本はつの進行方向の歩行者用信号機(原判決添付別紙図面表示F、E)及びこれと連動する自動車用信号機(右図面表示B、D)の各信号が赤であり、被控訴人御厨の進行方向の自動車用信号機(右図面表示A、C)の信号が青であつた旨判示する。右判示は、原審証人工藤登の証言、原審における被控訴人御厨の供述と一致するが、原審証人山口勝弘、同宮崎成一の各証言とは相反する。しかるに、原判決は、右各証言について全く触れることなく、事実を誤認した。

また、原判決は、被控訴人御厨が本件交差点の停止線から約五五メートル手前で進行方向の信号が青であることを見た旨判示するが、右判示は根拠がない。すなわち、前記実況見分調書(乙第二号証)添付見取図表示五五・二メートルの表示は、被控訴人御厨が青信号を見たという地点と森本はつが歩道上に立つているのを発見したという地点との距離にすぎず、右判示を根拠づけるものではなく、現に原審における被控訴人御厨の供述によれば、同被控訴人が青信号を確認したのは本件交差点から一〇〇メートル手前である。

ところで、右山口証言によれば、山口勝弘が本鵠沼駅方面から辻堂駅方面への道路(以下「従道路」という。)を進行して来て、本件交差点から約一〇メートル手前の地点に至つたとき、森本はつの進行方向の自動車用信号(原判決添付別紙図面表示D)及び歩行者用信号(前記F)が青であり、本件交差点から五、六メートル手前の地点に至つたとき、右歩行者用信号が点滅を始め、加害車が松浪交差点方面から藤沢方面への道路(以下「主道路」という。)を左方から走行して来たところ、山口が本件交差点手前横断歩道付近に至つたとき、右歩行者用信号が赤となり、次いで右自動車用信号が青から黄に変り、山口が本件交差点角歩道に立つてから約一秒後に本件事故が発生したというのであるから、加害車の進行方向の主道路の信号は赤であつた。すなわち、主道路の横断歩道用の歩行者用信号が赤となつたのち、従道路の自動車用信号が黄となり、次に従道路の自動車用信号が赤となると同時に、主道路の自動車用信号が青となる順序であるところ、自動車用信号機は前記A、Cが青四〇秒、黄五秒、赤四〇秒であり、前記B、Dが赤四五秒、黄五秒、青三五秒であり、歩行者用信号機の前記E、Fは青二六秒(うち五秒は青点滅)、赤五九秒である。なお、当審証人工藤登の証言中本件事故当時の被控訴人御厨の進行方向の信号が黄であつたとの部分は、事実に反する。

被控訴人御厨の供述調書(乙第一号証)及び前記実況見分調書(乙第二号証)中における同被控訴人の供述記載によれば、被控訴人御厨は、右実況見分調書添付見取図表示〈三〉点、すなわち本件事故発生地点の手前一八メートルの地点で進行方向の信号が青であることを確認したというが、加害車の時速五〇キロメートルの速度では本件交差点内における制動は不可能であり、同所における安全対策のためにも右地点において運転者が信号を確認することは通常ありえないのである。そして、被控訴人御厨が右地点で右のような確認をしたとすれば、右地点に至る前には十分に信号の確認をしていなかつたことを裏付けることになる。

更に、被控訴人らは、山口勝弘の供述調書(乙第四一号証)及び同人立会の下に作成された実況見分調書(乙第四〇号証)に基づき被控訴人御厨の進行方向の主道路の信号は、前記実況見分調書(乙第二号証)添付見取図表示〈二〉点に至る一ないし一・五秒前に赤から青になつたから、被控訴人御厨が本件交差点の手前二〇・八三三五ないし二七・七七八メートルの地点において進行方向の信号が青になつたと推認しうると主張する。ところで、右供述調書(乙第四一号証)及び実況見分調書(乙第四〇号証)は、本件事故の一か月後に作成され、山口の供述をして同人が従道路より横断歩道角に立つてから本件事故を目撃するまでの時間を従前は一秒位であつたとする(乙第七号証)のを五ないし六秒位であつたと修正させたものである。藤沢警察署が本件事故の一か月後に右のような修正をさせたのは、山口が右のように横断歩道角に立つてから本件事故を目撃するまでの時間が一秒位であつたとすれば、信号の周期(約四〇秒)からして被控訴人御厨の進行方向の信号が青になる約五・五秒前に本件事故が発生したこととなるからである。しかも、右のような修正にも拘らず、被控訴人御厨の信号無視の事実は否定しえない。すなわち、被控訴人御厨の進行方向の信号が右〈二〉点に至る一ないし一・五秒前に赤から青になつたものとすれば、同被控訴人は、時速約五〇キロメートルの速度で加害車を進行させていたから、右信号が赤から青に変つたのは右〈二〉の地点から約二〇・八ないし二七・七メートル手前の地点となるが、右地点は本件交差点における停止線(乙第二号証表示)付近の地点にすぎない。したがつて、加害車が停止線付近に至つたときは信号が赤であつたことになるが、その際、被控訴人御厨は、加害車の制動をしていない。

以上のとおり、被控訴人御厨は、本件事故当時前方を注視していれば、進行方向の信号が赤であり、かつ、はつが前方道路上で横断を開始しているのを認めえた筈であるのに、前方注視及び信号確認を怠つて進行した過失により本件事故を発生させたものである。

(三)  加害車と森本はつの衝突地点

原判決は、加害車とはつの衝突地点が本件交差点内の横断歩道の側端から約三メートル歩道に出た地点であり、右事実は加害車の転倒により路面についた擦過痕から動かし難いものである旨判示する。

しかし、右擦過痕は、藤沢警察署員神谷輝雄らが実況見分(乙第八号証)に際し路上にチヨークで印したものであつて、故意に事実を歪曲したものである。すなわち、右実況見分は、本件事故現場の痕跡を水で洗い流してその大半が乾いたのちにされたものである。真実の衝突地点が道路の中央線付近であつたことは明らかである。

また、被控訴人らは、右擦過痕が加害車の右側ステツプ及び右側ハンドルブレーキレバーにより生じた旨主張するが、加害車の右側泥よけは、右ステツプよりも下位の部分まで全く破損がないところ、右側ステツプが擦過状態にありながら、右側泥よけが無きずであつたということはありえない。

更に、ステツプによる擦過痕は三・二メートルであるとされるが、加害車の右側ステツプはやや上方に押し曲げられた状態にすぎず、右のような擦過に相応する破損がなく、単に倒れた時に生じた破損にすぎないものとみられる(乙第一四号証)。ハンドブレーキレバーによる擦過痕は六・三メートルであるとされるが、加害車のハンドルブレーキレバーには右のような擦過に相応する破損がない。

(四)  加害車の速度

原判決は、加害車の本件事故当時における速度は時速五〇キロメートルであつた旨判示するが、右速度は時速六三・三ないし七五キロメートルであつたといえる。

すなわち、藤沢市鵠沼海岸松浪交差点から本件事故発生地点に至るまでの約一キロメートルの間において、加害車は、右交差点を同時に発進して時速四五キロメートルで進行していた重山公一巡査運転の自動二輪車よりも三〇〇ないし四〇〇メートル先行したことからも明らかである(乙第四号証、原審証人重山公一の証言)。

仮に加害車が右の間で重山公一運転の自動二輪車よりも被控訴人ら主張のとおり二〇二・五ないし二一二・五メートルしか先行しなかつたとしても、加害車の時速は五七・四ないし五七・七キロメートルとなり、制限速度を超えるものである。

また、加害車が時速六〇キロメートルを超える速度で進行していたことは、次の事実からも肯認できる。すなわち、森本はつは、本件事故による衝撃により甚大な負傷(骨折、内臓破裂、内出血等)をし、加害車は、はつとの衝突地点から右前方に九・六メートル進行しハンドルを一五度湾曲するという破損を生じたのである。

(五)  本件事故現場の保存

本件事故は、被控訴人神奈川県(以下「被控訴人県」という。)の警察官である被控訴人御厨が勤務中に発生させたものであるから、その捜査は厳正に遂行されるべきであつた。しかるに、原判決も判示するとおり本件事故現場の保存については被控訴人らに十分でなかつた点があつたほか、被控訴人御厨は、被害者である森本はつを道路端に座らせたまま長々と藤沢警察署の上司と電話連絡をとり、同警察署の警察官は、事件の一方の当事者である被控訴人御厨ら警察官のみの立会の下に実況見分調書を作成し、目撃者の取調に被控訴人御厨を同席させ、新聞には早々はつの傷害が全治四週間であると発表するなどして故意に事件の隠蔽を図つた。したがつて、右警察官らにより作成された供述調書には証明力が認められるべきではない。

また、被控訴人らは、被控訴人県の警察官二名が本件事故現場の血痕を洗い流し、加害車を移転して現場の保存を怠つたことに若干の不手際があつたが、本件事故の捜査の厳正を欠き故意に事件の隠蔽を図つたものではない旨主張する。しかし、前述したような事情や被控訴人御厨の供述調書が本件事故当日作成されたのに目撃者らの供述はその翌日以降に作成されていることに照らしても、右捜査が公正に行われたといつているのは信用することができない。

(六)  救護義務違反

被害者である森本はつは、本件事故発生の約九時間後に本件事故による内臓破裂に基づく失血が原因で死亡したから、本件事故発生時には致命傷を受けていなかつたのである。しかるに、被控訴人御厨は、本件事故直後はつの負傷の程度を知りながら救急車を呼ぶことなく、長時間はつを道路端に放置してその救護のための努力を全くしなかつたため、はつは、内臓破裂について手術を受けられずに死亡した。仮にはつが本件事故直後、救護を尽されていれば死亡を免れた可能性もあつた。はつは、本件事故後に控訴人森本哲夫の妻である森本玲子に肩を借りて通りすがりの自動車に乗車させて貰つて病院に運ばれたのである。

右のとおり、被控訴人県の警察官の態度は、被害者の生命、人権を尊重する厳正さに欠けるから、被控訴人らの責任は重大である。

(七)  本件事故の捜査上の問題点

(1) 前記(五)で述べたとおり本件事故については現場の保存が全くされていなかつたため、被控訴人御厨の供述調書(乙第一号証)を前提として本件事故現場の実況見分が行われた結果、その実況見分調書(乙第二号証)は極めて不合理なものとなつた。

すなわち、前記(一)で述べたとおり、原判決が被控訴人御厨が右実況見分調書添付見取図表示〈二〉点から〈四〉点に至るまでの一七・一メートルの間に前方注視を怠つたことについて審理を尽さなかつたのも、右実況見分調書の不合理な内容に関する究明が足りなかつたためである。また、前記(一)で述べたとおり森本はつが道路に駆け出してから加害車に衝突されるまでの時間的関係が不合理であり、更に、前記(二)で述べたとおり被控訴人御厨が右見取図表示〈三〉点で進行方向の信号を見たということが不合理であるが、これらは、いずれも右実況見分調書の記載内容を被控訴人御厨の供述に符合させたためである。

(2) 本件においては、その捜査過程において事故の目撃者の供述に重大な矛盾があつたのに、この点について何らの解明もされていない。

すなわち、本件事故の目撃者である山口勝弘の供述調書(乙第七号証)によれば、山口は、本件事故発生の直前、本鵠沼駅方面から辻堂駅方面に向けて従道路を歩行し、本件交差点手前にさしかかつたとき進行方向の歩行者用信号機の信号が青点滅となり、更に四、五メートル手前にさしかかつたとき右信号が赤に変り、本件交差点角歩道に至つたとき進行方向の自動車用信号機の信号も赤となり、その約一秒後に本件事故を目撃したというのである。これに対し、他の目撃者である工藤登の供述調書(乙第一一号証)によれば、工藤は、本件事故を目撃したとき藤沢方面の主道路の自動車用信号機の信号は黄であつたというのである。

右のとおり、山口の供述によれば、本件事故発生に至るまでに加害車の進行方向の主道路の信号が青、黄の順序で変り、黄までの信号の周期は約四〇秒を要するものであつたが(乙第一七号証の一)、工藤の供述によれば、本件事故直後に加害車の進行方向の信号が黄であつたというのであるから、右各供述は矛盾するものである。

また、控訴人らが右の矛盾を指摘すると再捜査が行われたが、その後の山口の供述調書(乙第四一号証)、同人立会の実況見分調書(乙第四〇号証)によれば、山口の進行方向の右歩行者用信号機の信号が赤となつてから本件事故を目撃するまでは八・五秒であつたというのである。そして、山口の進行方向の自動車用信号機の信号が黄である時間五秒と歩行者用信号機の信号が赤となつてから右自動車用信号が黄となるまでの時間一秒を計算に入れると、本件事故は加害車の進行方向の主道路の自動車用信号機の信号が赤から青に変つた直後に発生したこととなり、工藤の供述との矛盾は一層明らかである。

更に、山口が本件交差点角歩道に立つてから本件事故を目撃するまでの時間は、同人の当初の供述調書(乙第七号証)によれば約一秒であるが、その後の供述調書(乙第四一号証)によれば五ないし六秒であると訂正されている。右訂正は、右時間を約一秒とすれば、加害車の進行方向の自動車用信号が本件事故当時赤であつたことになるため、捜査当局が作為的にさせたものであり不自然である。

次に、山口が被害者を見てから加害車を見るまでの時間は、山口の当初の供述調書(乙第七号証)によれば同時位であるが、その後の供述調書(乙第四一号証)、実況見分調書(乙第四〇号証)によれば三秒であると訂正している。しかし、山口は原審において加害車を見たのは本件交差点角歩道に立つ前であると証言していることからみても、右訂正は作為的であり不自然である。

(3) 被控訴人らが原審において提出した捜査の一件記録は、その通し番号からみても合計九九頁が欠落している(一ないし四〇頁、六一ないし六五頁、七七ないし八七頁、九三ないし九七頁、一一三、一一四頁、一二七ないし一五一頁、一五五ないし一六五頁)。右欠落部分は、被控訴人県側において取捨選択した結果生じたものであるが、そのうちには本件の真実を解明するために極めて重要であると見られる瀬川由利子の供述調書や鈴木貞一郎の供述調書(乙第一八号証)があつたところ、被控訴人らは、控訴人らの要求で右鈴木調書を提出したが、右瀬川調書は所在が不明であるとして提出を拒否している。

ところで、右瀬川調書は、原判決が被控訴人らの主張を肯認した裏付証拠である板橋由蔵の供述調書(乙第二七号証)の信用性を覆すものであり、また、右鈴木調書は、被控訴人御厨の主張に反して加害車に先行して黒色の乗用車がその直前を走行していたこと、鈴木貞一郎が本件交差点の四〇メートル手前で森本はつの進行方向の横断歩道の信号が青であることを確認していたことを明らかにしている(なお、鈴木は、その翌日の供述調書において本件交差点の約一〇〇メートル手前で右信号が青であることを確認したと訂正している。)。

(八)  後記被控訴人らの主張(八)の事実(森本はつに過失があつた事実)は争う。

3  被控訴人らの主張

(一)  被控訴人御厨紘輝の過失

前記控訴人らの主張(一)の事実は争う。

被控訴人御厨が本件事故発生地点から二八・二メートル手前の地点にさしかかつた際、森本はつが道路を横断中であり、又は横断を始めたという事実はなく、まして被控訴人御厨が控訴人ら主張の一七・一メートルの間前方注視を怠つたという事実はない。

被控訴人御厨は、本件事故発生地点から二八・七メートル手前の地点(実況見分調書(乙第二号証)添付見取図表示〈二〉点)に至つた際、右見取図表示〈A〉点に立つているはつを認めたが、同人は、その時点では辻堂駅方面寄りの歩道角信号柱の傍に立つていてまだ横断を始めていなかつた。

また、控訴人らは、右〈A〉点には植込みがあり電柱との間に人が入る余地がなかつた旨主張するが、電柱と植込みとの間にはかなりの空地があり、人の入る余地は十分にあり、しかも、同所の草は刈り取られていた(乙第二号証添付写真参照)。

更に、控訴人らは、はつが右〈A〉点から本件事故発生地点までの三・二メートルを一・二八秒で進行することはありえない旨主張する。しかし、被控訴人御厨は、右見取図表示〈四〉点に至つた際、はつが右見取図表示〈B〉点から道路上に飛び出し横断しようとしているのを認めたところ、はつは右〈B〉点から二・〇メートル進行した地点で加害車と接触したのであり、その間〇・七九九秒を要し、秒速二・五メートルであつて比較的ゆつくりした駆け足の速度であり、不自然、不合理な点はない。

(二)  本件事故発生時における信号

前記控訴人らの主張(二)の事実は争う。

控訴人らは、原判決が本件事故当時森本はつの進行方向の横断道路の信号が赤であり、加害車の進行方向の主道路の信号が青であつた旨判示したのは、原審証人山口勝弘、同宮崎成一の各証言に反して不当である旨主張する。

しかし、山口証言は、その一部に加害車の進行方向の信号が赤であつた旨の部分があるが、全般的に検討すると、山口勝弘は本件事故の直前に本鵠沼駅方面から辻堂駅方面へ向けて従道路を進行し、本件交差点から五ないし六メートル手前にきたとき進行方向の歩行者用信号が青点滅を始めたのち赤に変り、自動車用信号も青から黄に変つたので、本件交差点角歩道に至つて立止り、その二、三秒後に加害車の進行方向の自動車用信号(前記実況見分調書(乙第二号証)添付見取図表示〈A〉、〈B〉点)が青であることを確認した、なお、山口勝弘の進行方向の歩行者用信号が前記のように青点滅を始めたころ本件交差点の横断歩道端から二五ないし三〇メートル離れた地点に加害車が見えたというのである。

また、宮崎証言は、その一部にはつが横断歩道を渡り始めたとき加害車の進行方向の信号が赤であつて、はつが渡り終らないうちに青に変つた旨の部分があるが、他方、はつが右歩道を渡り始めたとき同人の進行方向の歩行者用信号が赤であつた旨の相反する部分もあり一貫性を欠くのである。

更に、原判決の右判示は、原審証人工藤登の証言、原審における被控訴人御厨の供述のほか、乙第一ないし第三号証、第七号証、第九ないし第一一号証、第一五、一六号証の各記載とも一致するのである。

次に、控訴人らは、右山口証言からすれば、本件事故は加害車の進行方向の主道路の歩行者用信号が赤になつた直後(数秒後)に発生し、その際、従道路の自動車用信号が黄であつた可能性が十分にある旨主張する。しかし、乙第四〇、四一号証によれば、本件事故当時従道路の自動車用信号が黄(五秒間)であつた可能性はない。

すなわち、山口勝弘の実況見分調書(乙第四〇号証)における指示説明記載によれば、山口が進行方向の歩行者用信号が赤となつてから本件事故を目撃するまでの間に七・五ないし八秒があり、右歩行者用信号が赤となつてから一秒後に従道路の自動車用信号が黄となり、更にその五秒後に従道路の自動車用信号が赤となり、これと同時に主道路の自動車用信号が赤から青に変り、その際被控訴人御厨が右見取図表示〈二〉点に至つたから、右時点は主道路の自動車用信号が青となつてから一・五ないし二秒後であるということになる。そして、加害車が時速五〇キロメートルの速度で進行していたとすれば、一秒間の進行距離は一三・八八九メートルであるから、加害車が〈二〉点に至る手前二〇・八三三五ないし二七・七七八メートルの地点において主道路の自動車用信号は青となつたと推認しうる。

次に、被控訴人御厨は、本件交差点のかなり手前から進行方向の自動車用信号が青であることを確認し、右見取図表示〈一〉点から〈三〉点に至るまでの間においても信号を確認していたのであり、また、その進行方向の見通しは約二〇〇メートルであり、右見取図表示〈二〉点よりも手前からはつの姿を確認していた。他方、はつは、本件事故当時藤沢方面から松浪交差点方面に向けて進行して来た定期バスに乗車しようとして急いで横断歩道に駆け出したものである。

なお、本件事故当時加害車の進行方向の主道路の自動車用信号機(原判決添付別紙図面表示A、C)の信号は青四〇秒、黄五秒、赤四〇秒であり、従道路の自動車用信号機(右図面表示B、D)の信号は青三五秒、黄五秒、赤四五秒であり、はつの進行方向の歩行者用信号機(右図面表示E、F)の信号は青二九秒(うち青点滅五秒)、赤五一秒であつた。そして、本件事故当時右各信号機は、単独二現示歩行者青点滅式T・S付と称する制御機が取付けられていたことから、周辺の他の信号機とは連動していなかつたものであり(乙第二一号証)、右各信号機は正常に作動していたものである。

(三)  加害車と森本はつの衝突地点

前記控訴人らの主張(三)の事実は争う。

加害車とはつの衝突地点が原判決の判示するとおりであることは、利害関係のない第三者である目撃者の供述及び本件事故現場における指示説明、本件事故現場に残された擦過痕等に徴し肯認しうる。

前記実況見分調書(乙第二号証)における擦過痕の記載は、控訴人ら主張のように意図的に作為して記載されたものではない。右擦過痕は、右実況見分調書添付見取図及び写真の表示から明らかなように右見取図表示×方向から〈停〉方向に向つて二・五メートル、〇・七メートル、六・三メートルのものと記載され、原審証人神谷輝雄、同伊藤久男の各証言によつても右擦過痕の存在は明らかである。

右擦過痕は、加害車がはつに衝突後に右側に倒れて路面を滑走したことにより生じたのであり、右事実は、加害車の右側部分に右方向指示器の破損、右ステツプの曲り、右ハンドル上ブレーキの破損があることにより明らかである(乙第二号証、第一四号証)。また、加害車の右側のホークランプ、ステツプ、クラツチレバー等の破損は、加害車が倒れたときの破損と見られるのである(乙第一四号証)。ところで、右擦過痕と加害車の転倒時の状況からすれば、右二・五メートル及び〇・七メートルの擦過痕は加害車の右側ステツプにより生じたものであり、右六・三メートルの擦過痕は加害車の右側ハンドルブレーキレバーにより生じたものと推認される。

なお、控訴人らは、加害車の右側泥よけ(レツクシールド)が右側ステツプよりも下位の部分に着装されているのに全く破損していないので、被控訴人らの右主張は事実に反する旨主張する。加害車の右側泥よけが右側ステツプよりも下位の部分に着装されていることは控訴人ら主張のとおりであるが、しかし、右側ステツプは、右側泥よけの外側よりも約四センチメートル外側に出張り、加害車が転倒したときには必然的に路面に接し破損するが、右側泥よけは、右側ステツプの接地により衝撃が緩和され、かつ、合成樹脂製で弾力性があり容易に破損しないものであるから、控訴人ら主張のように破損しなかつたとしても不自然ではない。

(四)  加害車の速度

前記控訴人らの主張(四)の事実は争う。

控訴人らは、加害車の速度が時速六五キロメートルを超えていた旨主張し、原審証人重山公一の証言を援用する。

しかし、右証言を検討すれば、加害車が控訴人ら主張のように本件事故当時重山公一運転の自動二輪車よりも三〇〇ないし四〇〇メートル先行していたというのは、重山公一の直感に基づくものであり明確な根拠はない。かえつて、右証言によれば、重山公一は、本件交差点の約一〇〇メートル手前で加害車の進行方向の信号が黄であり、その直後赤に変つたことを確認すると同時に加害車が転倒しているのを目撃した。ところで、前記のとおり黄信号は五秒であるので、重山公一が加害車の転倒しているのを目撃したのは本件事故発生の八・二ないし九秒後であり、重山公一運転の自動二輪車が時速四五キロメートルで進行していたとすれば、右自動二輪車と加害車との距離は二〇二・五ないし二一二・五メートルとなる。右事実は、重山が本件事故発生後一六・二ないし一七秒経過してから本件事故現場に到達していることとも符合する。しかも、車両の速度は、走行中常に一定の速度が保持されるものではなく、車両の種類、性能、運転操作、道路及び交通状況等により三ないし五キロメートルの増減があることからみて、重山のいう時速四五キロメートルという速度自体も絶対的、確定的なものではなく、それ以下の速度であつたともいえるのであり、同人運転の右自動二輪車と加害車との距離がもつと短かかつたとも考えられる。

また、原審証人山口勝弘の証言によれば、山口勝弘は、本件事故の目撃者として加害車の速度は目測で時速五〇キロメートル位であつたとしている。

(五)  本件事故現場の保存

前記控訴人らの主張(五)の事実は争う。

原判決の判示するとおり、本件事故現場の保存には若干の不手際があつたことは否定しえないとしても、これをもつて本件についての捜査が控訴人らの主張するように厳正を欠き、故意に事件の隠蔽を図つたものとはいえない。

すなわち、被控訴人県の警察官は、本件事故の直後に目撃者について捜査し、前後四回にわたり実況見分を実施し(乙第二号証、第八号証、第一五、一六号証)、事案の真相を明らかにするため厳正な捜査を遂行し、昭和四八年一〇月一七日本件について業務上過失致死事件の立件をして横浜地方検察庁に送致した。

また、被控訴人御厨は、本件事故直後森本はつを近くの歩道上に抱きかかえて行き街路樹に背をもたせかけるようにして座らせて保護し、かつ、その場に来合わせた同僚の重山公一に対し救急車を呼び、又は病院に運ぶように依頼した。そこで、重山は、現場を通りかかつた川崎春雄の乗用車にはつらを乗車させて病院に運んで貰つた。そして、被控訴人御厨は、本件事故直後に藤沢警察署の上司に電話連絡をしたが、その内容は、単に事故の発生、事故の場所、被害車等に関するものにすぎず、上司の指示をも事故現場で待つようにするという一般的なものであつた。

更に、被控訴人県の警察官は、本件事故後の実況見分に際し、一方の当事者であるはつが入院加療中であつたためその立会を求めることができなかつたのであり、本件事故発生の翌日以降は実況見分に際し、本件事故の目撃者等三名の第三者を立会わせている。なお、右第三者の立会が本件事故発生の翌日以降となつたのは、捜査の進展状況、立会人の都合等によるものでやむをえなかつた。加えるに、右警察官は、本件事故当日控訴人ら主張のように被控訴人御厨の供述調書を作成したが、そのほかに重山公一、川崎春雄、鈴木貞一郎の各供述調書をも作成しており(乙第四号証、第六号証、第一八号証)、控訴人ら主張のように本件事故当日目撃者らの供述調書を作成しなかつたわけではない。

(六)  救護義務違反

前記控訴人らの主張(六)の事実は争う。

前記(五)に述べたとおり、控訴人御厨は、本件事故直後、森本はつを放置していたわけではなく、重山公一をして直ちにはつを通りかかつた乗用車に乗車させて病院に運ばせたのであり、救護義務違反の事実はない。

(七)  本件事故の捜査上の問題点

前記控訴人らの主張(七)の事実は争う。

控訴人らは、山口勝弘が当初従道路を進行してきて本件交差点角歩道に至つてから本件事故を目撃するまで約一秒しかなかつたと供述しているのに(乙第七号証)、警察当局がその後同人をして作為的に右目撃までの時間を五ないし六秒と訂正させた(乙第四〇、四一号証)旨主張する。しかし、右目撃までの時間がいずれであるとしても、本件事故当時における加害車の進行方向の主道路の信号が赤であつたことにはならないから、警察当局が殊更に右のような訂正をさせたことはなく、右訂正は、時間を追つて再捜査をして時間的関係を正確なものとしたにすぎない。

また、右再捜査は、方法論的にみて作為的であるという根拠は何もなく、要するに山口が本件事故直前に本件交差点の信号状況をどのように確認していたかを解明することにあつたのである。そして、山口は、捜査において終始加害車の進行方向の信号が青であつたことを明確にしている。

(八)  過失相殺

仮に被控訴人らに何らかの損害賠償義務があるとしても、本件事故の発生について森本はつにも過失があつたことは、原判決事実摘示被控訴人らの抗弁2記載のとおりであるから、被控訴人らは、控訴人らの損害賠償額の算定について過失相殺を主張する。

4  証拠

当審における証拠関係は、本件記録中の当審書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  原判決事実摘示控訴人らの請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二1  成立に争いのない乙第一ないし第一六号証、第一七号証の一、原本の存在及び成立に争いのない乙第二八号証の一、三、第二九ないし第四四号証、控訴人ら主張のような写真であることに争いのない甲第一号証、第二号証の一、二、第三号証の一ないし一三、第四号証の六ないし一六、第五号証の一ないし四、第六号証の一ないし四、第七号証、弁論の全趣旨により成立を認める乙第一七号証の二、三、第二一ないし第二三号証、第二五、二六号証、弁論の全趣旨により原本の存在及び成立を認める乙第一八ないし第二〇号証、第二七号証、第二八号証の二、原審証人川崎春雄、同森本玲子、同伊藤久男、同神谷輝男、同重山公一、当審証人瀬川由利子、同工藤登、原審及び当審証人山口勝弘の各証言、原審における控訴人森本哲夫、被控訴人御厨紘輝各本人尋問の結果(但し、原審証人山口勝弘の証言中後記信用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  本件事故が発生した交差点は、藤沢市松浪町から同市藤沢橋に至るアスフアルト舗装された車道幅員約九メートルの平担な道路(被控訴人御厨の進行した道路(「主道路」という。)と、これにやや斜行して交差する本鵠沼方面から辻堂駅方面に至る車道幅員約六・五ないし五・二メートルの道路(「従道路」という。)との交差点であつて、その昭和四八年九月一三日当時における状況は原判決添付別紙図面記載のとおりであり、主道路は、中央に中央線が画されていて、主道路両側には舗装されていない歩道があり、東側歩道の幅員は二・九メートル、西側歩道の幅員は三・二メートルであつて、右各歩道に面して人家が建ち並んでいた。

本件交差点は、速度制限が時速五〇キロメートル、駐車禁止の交通規制があり、自動車用信号機が右図面表示A、B、C、Dの各箇所に設置され、歩行者用信号機が右図面表示E、Fの各箇所に設置されていた。右自動車用信号機は、右A、Cが青四〇秒、黄五秒、赤四〇秒の順序で作動し、右B、Dが赤四五秒、黄五秒、青三五秒の順序で作動し、歩行者用信号機の右E、Fは、右B、Dの信号機と連動し赤五一秒、青三四秒(うち青点滅五秒)の順序で作動するように調整されていた。本件事故当時右各信号機は、いずれも正常に作動していた。

本件交差点付近は、松浪町方面から本件交差点に入るときには前方の見通しは良いが、左方(辻堂駅方面)及び右方(本鵠沼駅方面)の見通しは悪く、本件事故当時天候は曇で、本件事故現場の路面は乾燥していた。

(二)  被控訴人御厨は、昭和四八年九月一三日当時藤沢警察署浜見山派出所勤務の巡査であつたが、同日午前八時四〇分ころ右派出所における夜勤を終えて藤沢警察署に向うため、加害車に乗車して時速約五〇キロメートルの速度で藤沢市松浪町方面から本件交差点に向け車道の左側端から約一・五メートルの位置を進行していた。

ところで、被控訴人御厨は、本件交差点の西側停止線(原判決添付別紙図面表示西側停止線)から約二五ないし三〇メートル手前の地点で同被控訴人の進行方向の主道路の前記A信号機の信号を見ると青であつたので、そのままの速度で進行し、右停止線の手前にさしかかつたとき右A信号機の近くの歩道上で顔を車道の方に出して周囲を見回していた森本はつを発見し、その挙動から横断歩道に出ることが感じられたが、右A信号機の信号が青であることが確認できたので、はつが横断歩行に出ることはないものと考え、警音機を吹鳴せず、減速もせずに本件交差点に進入し、そのすぐあと前方約一一メートルの横断歩道上をはつが突然駆け出してくるのを発見し、危険を感じてハンドルを右方に切り急ブレーキをかけたが、避けきれず、歩道の側端から約三メートル横断歩道上に出た地点で加害車の前輪左側及び泥よけの部分がはつに衝突し、加害車をそのまま右前方に押出すようにして右側に転倒しながら道路の中央線を越えて右斜めに滑走させ、衝突地点から約一二・六メートル右前方の地点で同被控訴人自身が乗車したままで転倒して停止させた。これによつて、被控訴人御厨は、頭部外傷等約二週間の加療を要する傷害を受け、他方、はつは、加害車の停止地点から約三メートル手前の地点に転倒し、直ちに野中病院に入院したが、昭和四八年九月一三日午後五時一〇分右衝突による傷害のため死亡した。

(三)  森本はつは、明治三〇年一一月三日生れで、本件事故当時七五歳とはいいながら健康であり、その足も四〇歳代の女子とさして変らないような状態であつたが、右図面A、Cの信号が青、E、Fの信号が赤であつたにもかかわらずこれを無視又は看過し、折柄来合わせたバスに乗ろうとして急に右図面Aの信号機のある付近の歩道から加害車の前方を横切つて横断歩道を駆けて飛び出し、加害車に衝突した。

以上の事実が認められ、原審証人宮崎成一、同山口勝弘の各証言中右認定に反する部分は、前掲各証拠に対比してにわかに信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  控訴人らは、森本はつは青信号で横断道路を歩行し始めたものであり、はつと加害車の衝突地点は道路の中央線に近い場所であり、他方、被控訴人御厨は制限速度である時速五〇キロメートルを超える時速六三・三ないし七五キロメートルの速度で進行していたものであり、被控訴人らは右事実を隠すため実況見分前に加害車等を移動し、はつの血痕を洗い流し、更に、被控訴人御厨は本件事故直後にはつを放置して同人の救護をしなかつた旨主張するので、検討する。

(一)  信号の点について

前掲乙第七号証によれば、山口勝弘の司法警察員に対する供述調書(前掲乙第七号証)には、「本鵠沼駅から歩道を歩いて辻堂駅方面に横断しようとして本件交差点の歩行者用信号機(前記E信号機)の手前四ないし五メートルの地点にさしかかつたときに歩行者用信号機(前記F信号機)が赤となり、本件交差点の南西角(前記E信号機付近)に来たときに自動車用信号機(前記D信号機)も赤となり、信号待ちのために立つているときに本件事故が発生した。」旨の記載があり、右供述記載は、本件事故直後に前記B信号機を見た板橋由蔵の供述調書の記載(前掲乙第一〇号証)並びに本件事故直後に前記A信号機を見た工藤登の当審における証言及び同人の供述調書の記載(前掲乙第一一号証)と符合しており、また、前記のとおりA、Cの各自動車用信号機の青の表示時間が四〇秒であることを考え合せると、大筋において信用することができる。

そして、前記認定事実、前記1掲記の各証拠を総合すれば、山口勝弘は、従道路を辻堂駅の方に向つて進行していて進行方向の歩行者用信号が赤となつた時点から七・五ないし八秒後に本件交差点南西角歩道に到着したが、右歩行者用信号が赤となつた時点から一秒後に従道路の自動車用信号が黄となり、更にその五秒後に右自動車用信号が赤となり、これと同時に主道路の自動車用信号が赤から青となつたこと、山口勝弘は、本件交差点南西角歩道に到着した際、本件交差点の西側停止線の手前付近から、本件事故発生地点の手前約二八・七メートルの地点を時速約五〇キロメートルの速度で進行していた加害車を認めたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、被控訴人御厨が本件交差点の北西角付近に到着した際には右A、Cの各自動車用信号機が青となつてから一・五ないし二秒が経過しており、加害車の時速約五〇キロメートル(秒速約一三・八八九メートル)の速度からすれば、加害車が本件交差点の西側停止線の手前約二〇・八三三五ないし二七・七七八メートルの地点に来た時点において主道路の自動車信号は青色となつたものと認めるのが相当である。

(二)  衝突地点の点について

控訴人らは、はつと加害車との衝突地点は、道路の中央線の近くであつた旨主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はなく、かえつて、前記1掲記の各証拠を総合すれば、はつと加害車との衝突地点は、加害車の転倒により路面(アスフアルト)に残された擦過痕からしても前記認定の地点であること、本件事故の目撃者の供述も大体において右地点に符合することが認められる。

(三)  加害車の速度の点について

前記1掲記の各証拠を総合すれば、重山公一巡査は、自動二輪車を運転し、藤沢市鵠沼海岸松浪交差点において加害車とほぼ同時に発進し、時速約四五キロメートルの速度で進行し、本件事故現場に至るまでの約一キロメートルの間に加害車よりも三〇〇ないし四〇〇メートル遅れた旨を述べていることが認められる。しかし、他方、右各証拠によれば、重山公一運転の右自動二輪車の速度、同車と加害車との右距離等は、重山の直観に基づく判断であつて、確定的で的確なものとはいえないことが認められるから、重山の供述に関する右認定事実をもつて前記1の認定を左右することはできない。

(四)  現場保存の点について

前記1掲記の各証拠によれば、本件事故直後に加害車の停止地点、被害者の転倒地点を道路上に記載しないまま加害車及び被害者が移動され、道路上に散乱した加害車の部品が取片付けられ、血痕もその位置を道路上に記載しないまま洗い流され、その後に本件事故現場の実況見分が行われたこと、本件事故直後、本件事故現場には被控訴人県の警察官である被控訴人御厨及び重山公一がいたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実によれば、被控訴人県の警察側の本件事故現場の保存は十分ではなく、警察側の捜査に手落ちがあつたものというべきである。

しかし、右各証拠によれば、被害者を移動したのは救護のためであり、加害車を移動しその部品を取片付けたのは交通の危険を避けるためであり、右各措置が他の意図をもつてされたものではないこと、右血痕を洗い流したのは付近住民であり、被控訴人らにおいてこれに関与したものではないことが認められる。

(五)  救護義務違反の点について

前記1掲記の各証拠によれば、被控訴人御厨は、本件事故直後に森本はつを本件事故現場付近で加害車の進行方向の右側歩道上に抱きかかえて行き、街路樹に背をもたせかけて座らせ、その場に来合わせた同僚の重山公一に対しはつを病院に運ぶように依頼し、重山は、直ちにその場を通りかかつた川崎春雄運転の乗用車にはつを乗車させて藤沢市内の野中外科医院に運んで貰つたこと、被控訴人御厨は、はつが右のように通行中の乗用車に乗車させられる間、藤沢警察署の上司に電話連絡をして本件事故の内容について報告をしていたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、被控訴人御厨が本件事故直後にはつを放置して救護義務に違反したものということはできない。

3  前記認定事実によれば、被控訴人御厨は、本件事故当時左右の見通しの悪い本件交差点にさしかかつた際、自車の左前方歩道上に森本はつが横断歩道に進出するのではないかという挙動をしているのを認めたのであり、このような場合老齢のはつが不用意に突然加害車の進路に向つて進出して来ることがないわけではないから、あらかじめ減速して何時でも急停車できるように徐行し、同人の動向を注視しながら加害車を運転し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、制限速度と同一の時速約五〇キロメートルの速度で漫然進行した過失があり、その結果、本件事故が発生したものというべきである。

したがつて、被控訴人御厨には本件事故の発生について過失があつたというべきであるから、右過失がなかつた旨の被控訴人県の主張は採用することができない。

4  次に、被控訴人らの過失相殺の主張について検討する。

前記認定事実によれば、森本はつは、主道路の歩行者用信号が赤であつたのであるから、加害車の進路に飛び出すことがないようにして事故の発生を未然に防止する注意義務があるのに、これを怠り、右赤信号を無視又は看過し、急に横断歩道に駆けて飛び出し加害車に衝突した過失があり、これが本件事故の主たる原因となつたものというべきである。

そして、森本はつの右過失は、同人の死亡による損害賠償額の算定について斟酌すべきであり、被控訴人御厨の前記過失と対比すれば、その割合は被控訴人御厨が四割、はつが六割と認めるのが相当である。

三1  被控訴人県が加害車を所有してこれを自己のため運行の用に供していたこと、本件事故は被控訴人県の公権力の行使に当たる被控訴人御厨がその職務執行中に発生させたものであることは、当事者間に争いがなく、また前記認定のとおり本件事故は被控訴人御厨の過失により発生したものである。

したがつて、被控訴人県は、本件事故により生じた損害を賠償する義務があるものというべきである。

2  控訴人らは、被控訴人御厨も控訴人らに対し本件事故により生じた損害を賠償する義務がある旨主張するが、公権力の行使に当たる地方公共団体の公務員がその職務を行うについて過失によつて違法に他人に損害を与えた場合には、地方公共団体がその被害者に対し賠償の責に任じ、公務員個人はその責を負わないものと解すべきである(最高裁判所昭和三〇年四月一九日第三小法廷判決・民集九巻五号五三四頁、昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻二号一三六七頁参照)。したがつて、被控訴人御厨は、控訴人らに対し本件事故により生じた損害を賠償する義務がないものというべきであり、控訴人らの右主張は採用することができない。

四  次に、損害額について判断する。

1  森本はつの逸失利益

前掲乙第二八号証の三、成立に争いのない甲第八ないし第一〇号証、原審証人森本玲子の証言、原審における控訴人森本哲夫本人尋問の結果を総合すれば、森本はつは、明治三〇年一一月三日生れの女子で本件事故当時七五歳であつたが、健康であり、九・一二年の余命があつたこと、はつは、本件事故がなければ、なお四年間程度は就労することができたこと、はつは、本件事故当時藤沢市の高齢者対策事業に従事して毎月平均二〇日程度稼働し日給一三四〇円の支給を受け年収三二万一六〇〇円を得ていたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

控訴人らは、はつは本件事故がなければその後は他に転職して就労し昭和四八年度の賃金センサスによる六五歳以上の女子労働者の平均年収六六万九九〇〇円程度の収入を得ることができたと予想される旨主張するけれども、はつは明治三〇年一一月三日生れの当時七五歳の女子で、事故当時は高齢者対策事業に従事していたことからすれば、本件事故がなければ、その後控訴人ら主張のような収入を得る職業に転職して就労することができた蓋然性は極めて低いものといわなければならず、右のような転職ができた特段の事情を認めるに足りる証拠はないから、控訴人らの右主張は採用することができない。

以上の事実によれば、はつの昭和四八年九月以降の年収は三二万一六〇〇円であると推認できる。

ところで、以上判示したところによれば、はつは、本件事故がなければ、なお四年間程度は稼働できるから、同人の右年収三二万一六〇〇円からこれを得るのに必要な生活費を三割程度とみて、右生活費を控除した残額二二万五一二〇円を基礎として右稼働可能の四年分についてライプニツツ式計算(係数三・五四五九)により年五分の中間利息を年毎に控除して得た七九万八二五三円(円未満切捨)がはつの死亡時における得べかりし利益の現価であるというべきである。

そして、右損害についてはつの前記過失を斟酌して被控訴人県が賠償すべき金額は三一万九三〇一円(円未満切捨)とするのが相当である。

次に、控訴人らがはつの子であつて同人の死亡により同人の権利義務を二分の一ずつ相続したことは当事者間に争いがないから、控訴人らは、それぞれ右三一万九三〇一円の二分の一である一五万九六五〇円(円未満切捨)の債権を取得したものというべきである。

2  葬儀費用

控訴人らが森本はつの葬儀を行つたことは当事者間に争いがなく、右事実、原審における控訴人森本哲夫本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、控訴人らは、はつの葬儀を行い、合計二三万六七二一円を要したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そして、右損害についてはつの前記過失を斟酌して被控訴人県が控訴人らに対し賠償すべき金額は九万四六八八円(円未満切捨)とするのが相当である。したがつて、特段の定めが認められない本件においては、控訴人らは、それぞれ右九万四六八八円の二分の一である四万七三四四円の債権を取得したものというべきである。

3  救助費用

控訴人らは、川崎春雄に対し森本はつの救助に対する謝礼として二万円を支払うとの約定をした旨主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はない。

4  森本はつの慰藉料

森本はつが本件事故により前記傷害を受けてその生命を失い、多大の精神的苦痛を受けたことは明らかであるところ、これに対し被控訴人県の支払うべき慰藉料の額は、はつの年齢、前記はつ及び被控訴人御厨の各過失の態様、その他諸般の事情を斟酌すれば、八〇万円とするのが相当である。したがつて、控訴人らは前述のとおりの相続によりそれぞれ右損害賠償請求権八〇万円の二分の一である四〇万円を取得したものというべきである。

5  控訴人らの慰藉料

控訴人らは、前記のとおり森本はつの子であるから、同人の死亡により深い精神的苦痛を受けたことは明らかである。

そこで、慰藉の方法として、被控訴人県の支払うべき慰藉料の額は、はつの年齢、前記はつ及び被控訴人御厨の各過失の態様、その他諸般の事情を斟酌すれば、控訴人らについてそれぞれ四〇万円とするのが相当である。

6  控訴人らの損害賠償債権

以上の次第で、控訴人らは、被控訴人県に対し本件事故によりそれぞれ合計一〇〇万六九九四円の損害賠償債権を取得したものというべきである。

7  損害の填補

控訴人らが自賠責保険から二七八万円の損害の填補を受けたことは、当事者間に争いがない。そして、特段の定めが認められない本件においては、その二分の一である一三九万円がそれぞれ控訴人らの前記5記載の損害に充当されたものというべきである。したがつて、控訴人らの右各損害は、右損害の填補により全額消滅したことが計数上明らかである。

8  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、控訴人らが昭和四九年八月一日弁護士増本一彦外三名に対し本件訴訟の提起及び追行を委任したことが認められる。

ところで、控訴人らが右各弁護士に対し控訴人ら主張のとおり弁護士費用として一七四万一五〇三円を支払う旨を約定したとしても本件事案の内容、訴訟の経過及び結果を勘案すれば、右弁護士費用は本件事故と相当因果関係のある損害とは認めることができない。

五  よつて、控訴人らの被控訴人らに対する従前の各請求はいずれも失当として棄却すべく、これと同旨の原判決は相当であつて、本件各控訴は理由がないからこれを棄却し、また、控訴人らの当審における新たな各請求も理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 川添萬夫 新海順次 佐藤榮一)

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